吉田中学校 校歌
作詞 西沢 爽
作曲 和田香苗
1 秩父の嶺に おはようと
教えの庭の 窓ひらく
ぼくらは 学ぶ
ぼくらは 学ぶ
ああ 吉田中学
やがては巣立つ この窓が
ぼくらの心の ふるさとになる
2 檀のように 強くなれ
肩組みあった 友がいた
ぼくらは 進む
ぼくらは 進む
ああ 吉田中学
思い出おおい 春秋が
ぼくらの未来の 励ましになる
3 遠くにいても いつの日も
瞼にあつく 刻むもの
ぼくらは 思う
ぼくらは 思う
ああ 吉田中学
あの城峯の 空の下
ぼくらの誇りの 学校がある
JASRAC許諾番号 E2401243919
~吉田中学校校歌の歴史~
旧吉田中学校、上吉田中学校、太田部中学校の統合後の昭和45年11月に校歌発表会が行われ、本校の校歌が誕生しました。当時、地元の方々から協賛金という形で、多額の校歌の作詞料としたそうです。作詞は父上が上吉田の出身の西沢爽さんに依頼しました。西沢さんは昭和を彩った多くの有名歌手の作詞を手がけ、約2000曲の作品を世に送り出した大作詞家です。また、作曲はアニメや演歌の作曲・編曲家である和田香苗さんに依頼しています。和田さんは、アニメソング歌手の水木一郎さんや演歌歌手の冠二郎さんの芸名の名付け親でもあります。中学校の校歌にこれだけのお金をかけて著名な方々に作詞・作曲を依頼するということは、それだけ当時の吉田の方々の中学校への期待の高さと熱い思いを感じます。 本校に残っている校歌の音源は昭和45年10月に日本コロムビアレコードにて和田さんの指揮の下、歌手の三鷹淳さんが歌い録音したものだそうです。吉田中学校での校歌の発表会当日には、この3名の方をお招きして、校歌の歌碑のお披露目も併せて、大々的に校歌の発表が行われたそうです。 西沢さんから当時の町民に宛てた手紙にはこう書かれています。「この校歌は従来のどこの学校の校歌よりも平易で、また新しい雰囲気をもったものであると確信しています。」「明るく平易で若い律動のある校歌はそう「ざら」にあるものではありません。私は少年時には覚えていたはずの校歌が今はどうしても思い出せません。校歌とはそんなものではあってはならない。忘れようとしても忘れられないものでなければ・・・という願いで作った微意をおくみ取りくださいまして、 今後いつもいつも生徒たちの愛誦歌になるように御指導く ださい。」吉田の人々の思いを胸に、生徒たちの心の拠り 所となる校歌となるよう歌い継いでいきたいと思います。(令和5年度学校だより『城峯』第2号巻頭言抜粋)
吉田中学校校歌(1番):令和5年度生徒による合唱