吉田中学校 校章の由来
昭和42年4月1日、旧上吉田中学校と旧吉田中学校の統合に伴い、新しい吉田中学校が誕生しました。公募により校章のデザインが募集され、当時の教頭 彦久保邦義 氏 のデザインが採用され校章に決定しました。同時に帽章・胸章も制定されました。
以下、昭和42年11月15日の『よしだ広報』における「吉中校章決まる」の記事です。
新しい吉田中学校の校章募集は、10月31日で締め切りました。応募総数150通、応募者124名のたくさんの方々の御協力を得られました。11月2日、選考委員会を開いて審議した結果、吉田中学校の彦久保先生の作品を採用することになりました。片仮名の「ヨ」の時を4個ひし形に組み合わせて「中」の字を浮かせ、統合と協力をかたどった図案の力強さを買われたものです。他にも良いものが多かったので、佳作を設けました。なお、選考委員の構成は、
田村大一郎 新井群次 新井通太郎 多田正雄 新井卓治 関 国恵 小林弌郎 笠原輝夫
川井彰平 黒沢重則 新井完夫 根岸光広 肥土弓雄(敬称略)の方々でした。
※当時の教育長は小林弌郎先生でした。また、 新井完夫先生、根岸光広先生は旧上吉田中学校、旧吉田中学校の美術主任でした。