明治7年3月 | 久昌寺に学校を設立、久那学校と称す。 |
明治44年9月 | 校舎を久那2183の1に新築する。(教室3 職員室1) |
大正14年11月 | 2教室増築する。 |
昭和16年4月 | 校名を久那村立久那国民学校と改称する。 |
昭和22年4月 | 校名を久那村立久那小学校と改称する。 |
昭和28年3月 | 校歌を制定する。 |
昭和29年11月 | 秩父市に合併、秩父市立久那小学校と改称する。 |
昭和35年4月 | 久那中学校が影森中学校に統合されたため校地・校舎を引継ぐ。 |
昭和35年6月 | 校地裏山を実習地(旧梅園、現果樹園)として使用を始める。1500㎡。 |
昭和40年11月 | 開校90周年記念行事を行う。(校章・校旗を製作する) |
昭和43年4月 | 校舎1棟(6教室)を秩父一小より移転改築し、旧校舎より移る。 |
昭和44年7月 | プール竣工。 |
昭和47年5月 | 雲梯・登棒付きジャングルジム、後援会寄贈。 |
昭和50年11月 | 開校100周年記念行事を行う。 |
昭和51年4月 | 体育館落成。 |
昭和53年2月 | 秩父市教委より同和教育推進校の委嘱を受け、1ヵ年の研究をなす。 |
昭和59年3月 | 県貯蓄推進委員会、秩父市教委より金銭教育の委嘱を受け研究する。 |
昭和61年4月 | 秩父市教委より国語科教育研究校の委嘱を受け1ヵ年研究する。 |
昭和62年3月 | 新校舎落成、鉄筋3階建1階1部を市立久那幼稚園とする。 |
平成元年7月 | ブール周辺タイル張替整備。 |
平成2年4月 | 秩父市教委より実験学校の委嘱を受け研究。(国語) |
平成2年7月 | 県教委より教育放送利用地区研究協議会協力校の委嘱を受ける。 |
平成3年11月 | 体育館にステージ設置。 |
平成5年4月 | 埼玉県社会福祉協力校の指定。(3年間) |
平成7年4月 | 影森小共同調理場方式開始。 |
平成7年11月 | 性に関する研究発表会の開催。 |
平成8年4月 | 秩父市社会福祉協力校の指定。(3年間) |
平成8年11月 | 性に関する研究発表会の開催。 |
平成9年2月 | 低鉄棒・タイヤ・シーソー設置工事完了。 |
平成9年10月 | コンピュータ室供用開始。 |
平成11年2月 | 体育館外装工事完了。 |
平成11年2月 | 秩父市非常災害備蓄品倉庫完成。 |
平成11年4月 | 秩父市社会福祉協力校の指定。(3年間) |
平成13年8月 | 防犯用押ボタン設置工事完了。 |
平成14年4月 | 秩父市社会福祉協力校の指定。(3年間) |
平成14年8月 | 校内ラン工事、新コンピュータ導入完了。 |
平成15年11月 | 県教委・県小体連より小学校体育授業研究の委嘱を受ける。 |
平成16年4月 | 学童保育室設置。 |
平成16年5月 | ふれあい学校設置。 |
平成17年2月 | 防犯カメラ設置工事完了。 |
平成19年4月 | 県教委・秩父地区教委連合会より人権教育に関する研究の委嘱を受ける。 |
平成20年3月 | プール・外トイレ水洗化工事完了。 |
平成21年8月 | 特別教室(ワークルーム、音楽室)絨毯張り替え工事完了。 |
平成21年9月 | 1階窓枠修理完了。 |
平成22年8月 | 教室・特別教室・職員室等床の塗り替え工事完了。 |
平成23年4月 | 県教委より学校応援団と放課後子ども教室の連携促進の研究委嘱を受ける。 |
平成23年12月 | 砂場木枠修理 |
平成24年3月 | 音楽室空調設備設置 |
平成24年10月 | ジャングルジム新設 |
平成25年3月 | 校舎屋上防水工事 |
平成26年3月 | 体育館改築工事完了、学童保育室休室 |
平成26年4月 | 特別支援学級の新設 |
令和2年3月~5月 | 新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言「全国一斉臨時休業」コロナ禍へ |
令和2年4月 | 久那学童保育室再開 |
令和2年10月 | 水泳学習民間委託モデル事業開始 |
令和3年12月 | すべり台・雲梯新設 |
令和5年4月 | 県教委・県小体連より小学校体育授業研究の委嘱を受ける。 |
令和5年5月 | コロナ禍を脱し、校内のパーティションなどを撤去 |
令和5年9月 | 埼玉県学校緑化コンクール「優良賞」受賞 |
令和6年1月 | 「埼玉・教育ふれあい賞」受賞 |
令和6年6月 | 埼玉県算数数学教育研究会より授業研究の委嘱を受ける。 |
令和6年8月 | 旧プール施設を「久那小ビオトープ」とする。 |
令和6年9月 | 埼玉県学校緑化コンクール「優秀賞」受賞 |